音楽の原点は親父の吹くハーモニカ



山口:今まで演出家・作曲家としての岩瀬さんの話を聞いてきたわけですが、歌手ということではどんな経験をされてきましたか?それからギターやピアノ・筝・馬頭琴まで演奏していられますよねー。その辺の事をお聞きしたいと思っています。

岩瀬:今回は私のことを演出・歌手・作曲・それからインストラクターという四つの主だった仕事について聞いてもらっていますので、なんとなく今までのちょっとした総括をさせていただいているような気がします。ちょうど、還暦という人生の節目ですのでお話しているとなかなか感慨深いものもありますよ。考えてみるとこの四つの仕事は自分の中で、たがいに競争しあったり、競合しあったりという関係にあるみたいです。ある時は演奏者の私を超えていく作曲家の私がいたり、作曲を演出する自分がいたりと考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、いい意味での自己矛盾を常にかかえているわけです。
歌との最初の出会いの記憶は、3才ぐらいの事だと思います。誰かは忘れましたがテレビの歌手の物まねを炬燵の上に登ってやったんです。こんな風に腕をグルグル回してね・・・すると母親がめっちゃ喜んだ。誰にでもあるようなありふれた記憶だと思いますが、自分が歌うことで人が喜ぶことに「この上ない快感」を発見した瞬間だったのだろうと思います。

山口:なるほど 確かにそんな記憶はありますねー。

岩瀬:そうでしょ?そんなことがその後も人生のいいタイミングであったんです。それからしばらくして保育園に入りお遊戯会というのがあって「ちびくろサンボ」という劇をやることになって、先生が「ちびくろサンボやりたい人!」と大きな声で言ったんです。私はみんなが手をあげると思っていましたが、手をあげたのは自分だけでした。そいで、主役に抜擢!それも、今みたいに主役が何人もいるようなスタイルではなくって最初から最後まで私ひとり・・・今でも当時の8ミリフィルムが残ってますよ。おじいちゃんが撮ってくれた・・・

山口:最初から最後までですか?今となっては結構珍しいことですね。

下記プレイボタンでポップアップ再生
よっちゃんのちびくろサンボ

岩瀬:それから小学校に上がる前に「一日入学」というのがあってそれをテレビが取材にきました。ニュースですので短い時間の放映でしたが、私がかなりの部分中心に映ってたんです。母親は「白と黒の大柄のジャンパーを着ていたから」と言っていました。当時は白黒テレビの時代でしたからね・・・そいで歌とはあんまり関係ないんですが、さっきの「ちびくろサンボ」と同じように人前に出る快感を味わっちゃったわけです。小学校3年生になったころにもこんなことがありました。放課時間にリコーダー・・・縦笛ですね。曲はわすれちゃったけど吹いていたんですね。そこへ担任の先生が入ってきて、もう授業が始まる間際だったので「怒られるー」と思ったわけです。すると「岩瀬、お前天才だなー」・・・褒められて調子に乗っちゃうわけですよ。学校の音楽の勉強は苦手だったけど、ぐんぐん音楽が好きになっちゃうんです。それから、音楽の聴き方もちょっと変わってきました。テレビでダークダックスが「母さんがー 夜なべをしてー」なんて流れてくると、泣けてきちゃったり・・・ちょうど情動期から情操期への移り変わりの時期ということもあったんでしょうが・・・

山口:情動期と情操期・・・?

岩瀬:これは音楽評論家の園部三郎さんが言い出した言葉だと思いますが、音楽を体で楽しむ段階を「情動期」と呼ぶんですね。それから次に来るのが「情操期」・・・いわゆる情操教育の「情操」というわけです。

山口:なるほどねー。そんな言葉があるとは知りませんでした。

岩瀬:さっきの話の続きですが、そんなことで音楽がどんどん好きになっていったわけです。そんな頃です。小学校4年生のころ、当時のグループサウンズの流行の影響で兄がギターを買ってきた。ソファーに立てかけてあったギターをポロンと弾いてみた・・・それが実にいい音だったんです。それからです。ギターを弾き始めたのは・・・

山口:小学校4年ですか。当時としては相当早かったんじゃないですか?

岩瀬:うん、その頃は誰もギターなんて弾いていませんでした。中学校に入っても珍しかったみたいで・・・中学のクラスのお誕生会でギターを弾いたこともありましたよ。フラメンコみたいな曲のすごく短いパッセージでしたが、弾いた後教室中に静寂が・・・そして大拍手!「3日やったらやめられない」という感覚が芽生えたのはこの事件?だと思います。それから、放送部からお声がかかり「昼の放送用」のレコーディングなんかもするようになりました。考えてみれば「初レコーディング」となるわけですね。

山口:高校1年の頃に、現在のグループの前身ができたとお聞きしていますから・・・グループ結成までもうすぐの時期ですね。

岩瀬:それからストレートで今につながってくるんですよ。幼少期から児童期それから青年期へと移り変わるそれぞれのいいタイミングで「強い快感」を覚えたわけですから、脳がその快感を追い求めるわけです。高校時代にも私より凄い才能を持っている音楽仲間はいましたが、その点だけは負けていなかったのかもしれません。そして、決定的だったのは今のグループの前身である鬼剣舞の実質的なデビューコンサートです。「赤い鳥」の後藤悦二郎さんと平山泰代さんの新グループ「紙風船」とのVSコンサート。一年前までレコードで聞いていたスターとの共演となるわけです。

山口:「赤い鳥」ですか。私も若いころよく聞きました。

岩瀬:えらく話がそれちゃってすみません。これじゃ私の伝記ですよねー。(笑い)でも、ギターは別として結局のところ歌もピアノも馬頭琴も筝もみんな必要に迫られてというのが、本当のところです。結構知り合いにもそういうアーティストや作曲家がいますよ。ペット吹きたかったけどメンバーにピアノがいなかったので、それがきっかけでピアニストになっちゃったっていうような・・・

山口:必要に迫られて?それじゃあ、みんな独学というわけですか?

ソロコンサートでの岩瀬よしのり
ソロコンサートでの岩瀬よしのり

岩瀬:ほとんど独学に近いですね。でも、歌は洞谷吉夫さんに30歳ぐらいの時に習いましたよ。力を抜いて歌う訓練や活舌なんかを繰り返し教わって、ユニークな教え方でしたが今でも歌い方に迷うと、洞谷先生の教えに立ち戻って考えたりします。あと、馬頭琴は世界最高峰の奏者チ・ボラクさんから教えていただきましたしー。あとは独学・・・?いやいや、舞台に立つ以上最低の決まりは覚えておかなければという意味で、先生といっても友人に近いんですが、一応習いにいきましたね。中には1日だけというのもあるんですが・・・

山口:一日ですか?

岩瀬:そう 後は応用ですから、基本的なことだけしか教わっていないものが実は多いんです。持ち方とか練習法とか・・・

山口:私のような音楽に関わりのない人間から見ると信じられないことですよ。

岩瀬:まぁ「好きこそもののなんとやら・・・」という事かもしれませんねー。いろいろ言ってきましたが、言い忘れた大切なことがあります。子どもの頃、実に楽しそうにハーモニカを吹く父を度々見たことがあって・・・それには結構大きな影響を受けたと思っています。その姿が今でも忘れられないんです。普段の父ではなく、あれは明らかに芸術家の顔でした。つまり、子どものような顔なんですよ。ですから、私の音楽の原点は「父のハーモニカ」にあるのかもしれません。

山口:環境と人と・・・ちょっと、教育に関わるような興味深いお話になりました。今日はどうもありがとうございました。

岩瀬:テーマがそれちゃってすみませんでした。


▼作品情報はこちらから
楽大夢ウェブサイト
企画制作 楽大夢ウェブサイト 

コンサートに関するご相談はこちらから


FrontPageに戻る